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第四章 凶つ神 3
2009-03-29
シリンが自分をじっと見つめているのを感じる。緊張のあまり口がからからに渇いてゆく。レーガの操る水が手にした水差しを満たした。
口にしようとしたそれを取り上げて代わりにシリンが差し出したのは中の一つの果実だった。
『それを口にするといい』
シリンの言葉に逆らえないようにレーガはそれを一口囓る。
半分干からびた果実の僅かな水分がレーガの口を満たす。
『それは、わたしへの供物だそうだ』
『供物?』
『彼らの指す神と言う言葉の概念がよくは理解出来なかったが、お前たちにとってのわたしのような存在の相手に感謝と敬愛を込めて捧げるものだそうだ』
少年の元に頻繁に訪れるシリンの存在。
目映い光に包まれ、人の待たざる力を操るシリンを人々は光の神と崇め畏れ敬い、日々シリンの降臨する場所へと貢ぎ物が捧げられるようになっていた。
『こんなものが?わたしたち種族が貴方に何かを捧げるのであれば、己の命か、この世に存在しうる全ての中から最高のものを選び抜いて捧げる事でしょう』
レーガは険しい顔を見せた。
レーガの勢いにシリンは声を立てて笑った。
自分の言葉をシリンが笑った事に対してレーガの顔が恥ずかしさで赤らむ。
『いや、その気持ちはありがたく受け取ろう、しかし命は遠慮しておくよ』
シリンがそんな顔をするのをレーガはすっかり忘れていた。
『そう言うな。それでも彼らにとっては限られた糧の中からわたしの為に差し出してくれたものなんだから。それに彼らにとってはわたしなぞ何の価値もない存在だ』
シリンは生きることに精一杯の無害な存在の彼らを思い穏やかな顔をみせた。
レーガはシリンにそんな顔をさせる存在に酷く興味を示す。
『次の機会にはわたしもお供させて頂いても宜しいでしょう?』
断る理由もない。
それどころかシリンは心のどこかでレーガが人間の存在に興味を持ってくれた事を嬉しく感じていた。しかし、シリンの抱いた認識は一族にとって大きな間違いだった。
シリンは彼らを束ねる者として、今まで通りに暮らす道を選ぶべきだったのだ。
しかし、その時のシリンには気づく由もなかった。
すっかり生気を取り戻したレーガを伴ってシリンは時空を越えた。
二人分の身体を運ぶ為、僅かに空間を歪めたシリンの力の余波は、遙か遠く極寒の地にも煌めく虹光のカーテンを降ろす。
それは、その地に住む人々の目に触れ、理由を知らないまでにも厳かな気持ちを抱かせた。
そして奇しくシリンの眷属にもその行動を知らしめる事にもなった。
『シリンが動いた』
『シリンが・・・』
『シリンが・・・』
バラバラの種族がこの一瞬に一つとなる。
それぞれがそれぞれの居場所でシリンの動きに意識を集中させた。
ただ、彼らはまだ動き出さない。注意深くその動向を見守るだけに止まる。
『スバル、今日は珍しい客を連れてきた』
降り立つシリンの背後にレーガは立った。
『レーガ。既に見知っていようがこの子はスバルだ』
シリン以外の存在、レーガの出現にスバルの顔は一層喜びに満ち溢れる。邪気のないスバルの魂はレーガにとっても心地の良いものだった。
シリンが何故無防備にこの少年の元へと通うのか、直接スバルに接したレーガは一瞬にして理解をする。
レーガの降り立った何もない岩山は数日後には緑を芽吹かせた。
意識しなくてもシリンは彼らに光を与え、レーガは大地を潤す。
いくら手を尽くしてもどうにもならなかった荒れた地は両者の存在によってみるみる豊かに潤っていく。
人々は生きてゆくために何より重要な神を得たのである。
ますます人々はシリンを、そしてレーガを崇め奉る。
それは彼らに最も近い存在であるスバルに対しても同じであった。
しかし、スバルは驕ることなくシリンを惹き付けた心のまま変わらず成長し、やがて部族の王となり民に慕われる善き統治を行った。
その頃にはレーガ以外の各地で姿を消していたシリンの眷属も姿を現すようになっていた。
彼らはそれぞれの土地で、シリンと同じくヒトの子の望む『神』という存在に置き換えられてヒトの中に在るものとして生き始めていた。
今まで距離を保ち続け一度もヒトと交わることのなかったシリンら一族を、幸か不幸か、ただ一人の少年の能力が再び時間の動く世界へ連れ出したのだ。
だが、シリンたち一族に比べるとヒトの子の一生は遙かに短い。
スバルも時の流れるままに年老いてやがてシリンを残し死を迎える事になる。
『スバル』
シリンは最期の時を迎えようとするスバルの枕元に立った。
寝台に横たわるスバルの顔は穏やかだ。
「シリン神・・・、わたしはもう人生の時を終えようとしています」
力無い声は間近に迫る別れを匂わせる。それはシリンの顔に暗い影を落とす。
シリンの憂いに気づいたスバルは言葉を付け足した。
「もう貴方様のお側におれぬ事は心残りですが、わたしの後は我が息子が継いでくれる事でございましょう。わたしの魂は血族の中で生き続けるのです。どうか変わらず我が子孫たちを見守り下さい」
スバルの手は力無くシリンの手の中から滑り落ちた。
旅立つ魂を見届けた後、部屋の隅に立つスバルの家族へと目を向けた。
遺された幼いスバルの子供。
この子供もスバルと同じ能力を備えていた。
頼りなげな瞳で自分を見つめる子供にシリンは静かな笑みを浮かべ声をかけた。
『父に別れを告げるが良い』
スバルに縋り付き慟哭する妻と息子を残し部屋を後にすると、王の死を悼み静まり返っている都を見下ろした。
スバルと過ごした僅かな時間はシリンにとってかけがえのない時間だった。その全ての時間がテーベの都に重なる。
シリンは【アス】の根に腰を下ろした。
『疲れているようですね』
アスの声が響く。
目を閉じたままのシリンから返事はない。
つづく


