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【短編】十条の戻り橋 1

 2009-03-01
護には父がいない。
正確にはいるのだけれどもずっと入院していて会うことはない。
母に連れられていった病院でベッドに横たわったままの父は様々な医療器具を付けられてまるでその一部であるかのように、ピクリとも動かない。話しかけても何の反応も返ってこない。
母が父方の親戚に辛く当たられて泣いていた姿だけがまだ幼い護の記憶に鮮明に残る。
程なくして、離縁されて母は父方の家から追い出された。
「あの人たちは、母さんにひどい事をした」
「違うのよ。護、おばあちゃんたちは・・・・」
「聞きたくない」
「護。待って、護。話を聞いてちょうだい」
父の話になると護は頑なに心を閉じて何一つ話を聞こうとしなかった。
部屋に閉じこもって一歩も外に出てこない息子の姿に、やがて諦めた母は父の事を口にしなくなった。
夜中に目が覚めると、時折、母が父の写真を眺めてぼぉっと座り込んでいる姿を目にする事もあったが知らぬふりを決め込んだ。
遊んでもらった記憶も抱いてもらった記憶もない。物心がついた時には父は既に病院にいたのだ。護にとって懐かしむ父はいなかった。

そんな護も来年には中学にあがろうかという頃、その父の死の知らせが突然舞い込んだ。
青ざめた顔の母は嫌がる護を連れて急ぎ田舎へと向かった。
微かに見覚えのある鳥居を抜けて北へまっすぐと何もない道をバスは走る。終点で降りると母を迎えに来ていた祖母がバス停に立っていた。
「遠いところをよぉ来てくれた」
祖母は母の荷物を持ち家へと招き入れた。すっかり年老いた祖母の顔は穏やかに見える。
葬儀は既に終わっていた。
近所に住む親戚だけが僅かに残る中、母が深く頭を下げ挨拶をしている。
懐かしそうに笑みを浮かべる親戚にも目をくれずに、護は与えられた部屋に閉じこもった。
「護ちゃん、菓子があるきに食べに降りてこんかね」
掛けられる声に返事もしない。
護に母の叱り声が飛び込んできた。
「護、いい加減にしなさい・・」
しかし、それも祖母の声に止められた。
「いいから、いいから、気持ちの整理がつかんのじゃろ、それよりあんたはこっちに来てゆっくりしんさい」
襖の向こうの気配は消えた。
護は畳の上に寝転がる。
「ちぇっ、何だい、あれだけ泣かされていたくせに」
天井を見つめ、母の態度に不満を漏らす。
そんな護を笑う声が窓の向こうから聞こえてきた。
「相変わらず、拗ねているのかい」
屋根を乗り越えて窓から顔を出しているのは、護とそう歳の頃も変わらない少年だった。
目を丸くして黙ったまま見つめる護に少年が残念そうな顔を見せる。
「何だ、忘れたのか?俺のこと」
「あっ!」
暫く記憶の底を探っていた護はやっとその顔を探り当てて声をあげた。
「ヒコ!ヒコだね」
すっかり思い出した護の目の前の少年は記憶よりうんと成長しているものの変わらぬ懐かしい笑みを見せている。
ヒコ、彼は護が幼い頃、この土地に住んでいた時の友達だ。
同じ年頃の子供のいないせいもあって護はいつもヒコといた。
「思い出したな、護」
護に向かって真っ直ぐに手を差し出した後、ヒコは屋根から飛び降りて窓の下に立った。そうだ、ヒコはいつもこうやって窓から顔を出して護を外へと誘いにきた。
護は少し躊躇って後ろを見たが、階下から聞こえる笑い声に窓に手をかけた。
手際よく飛び降りたヒコと違い、足場を確認しながらゆっくり慎重に降りた。もう何年も経っている。昔のようにはいかない。
「遅いぞ。護」
やっと地面に着いた時、ヒコは先に走り出していた。
「無茶、言うなよ。何年経ってると思うんだ」
護もヒコの後を追って駆け出した。
湿った土が素足に気持ちがいい。
走っているうちに護の心はすっかり忘れていた昔に戻っていく。


つづく
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税務署へ行く・・・とか

 2009-03-02

さて、確定申告の季節。
もっとも自分の場合は確定申告ではなく還付申告に行くのであるが。
毎年の事なのだが、何回行っても税務署の場所を覚えられない(笑)
いつも帰り来年の為に道順をチェックして帰るのだが、1年も経つうちに忘れてしまうわけだ。
大体の場所は覚えている。しかし、どの信号で曲がるのか?とわからなくなる。
全く学習能力がない(苦笑)
まあ、税務署などそうそう行くところではないし、近くを通る事もないので仕方がないか。
それに市役所や区役所、保健所、社会保険事務所に比べると格段にわかりにくい場所にある。何故だ?
ちなみに前者は全て一度行っただけで覚えた。
もしかして人目をさけないのか?と疑いたくなる位である。
還付金が戻ってくるのは1ヶ月後くらいだ。何となくお小遣いを得た気分になる。いや、本来払いすぎのお金が戻ってくるだけで何の得をする事もないんだけどね(^^;)
しかも有給を取って休んでるし、どっちかと言うと損してる?
などと全てを知っていても、ちょっとだけ嬉しい気持ちを味わえるのは良いことである。
とはいえ、自分の場合は社会保険の過払い金請求ももう半年ほったらかしなので、少々の事では感動しないのがたまにきずなのだ。
でも、春めいた気候の中、たとえ税務署に行くのだとしても自転車で出かけるのは気分が良い。
いつもなら、太陽の光の届かない社屋のそのさらに暗幕の中にいるのだから(笑)

【短編】情炎 ~辰哉そして竜真~ 四

 2009-03-02

音も立てずに障子が開く。
一人取り残された姿子がぼんやりと肘を付いて庭先を見つめ座っている。
「姿子」
背後から聞き慣れた声に呼ばれて姿子ははっとして姿勢を正しながら振り向いた。
「辰哉さん?そちらから戻ってらしたのね・・・・」
姿子の言葉は途切れた。
そこに立つのは辰哉ではない。
「竜真さん・・・・」
辰哉と間違えた姿子の言葉は竜真の心に苛つきを生じさせた。
それは声のトーンに表れる。
「貴方も聞き違える程に僕と辰哉さんの声は似ていますか?」
「ごめんなさいな、でも声だけを聞いていると本当によく似ているの、それより茅子さん、具合でもお悪いの?」
機嫌を損ねた事に気づいた姿子の注意はすぐに青ざめた顔で竜真の腕に抱き上げられている茅子に向けられた。
かけた声に茅子の反応はない。
顔に触れようと延ばそうとした手が止まった。ようやく異変に気づいた姿子の表情が凍り付いた。
「どうしました?姿子さん」
姿子の様子を観察しながら竜真は笑みを浮かべている。
「竜真さん」
赤く染まる茅子と竜真の姿をはっきりと認識した姿子の声が震える。
状況を把握しようと忙しなく動かされる瞳は竜真の足下へと向けられた。
茅子の身体から吹き出す滴は竜真の手を伝い畳を、赤く、赤く染め上げていた。
何事もないように振る舞う竜真の纏う異質な空気に恐怖した姿子の足がゆっくりと確実に後ろへと下がった。
しかし、その足を先ほどまで座っていたテーブルが遮る。
不意に足を取られた形となって傾いた身体は畳の上に転がった。
竜真は障子を静かに閉めると茅子をゆっくりと座敷へと横たえた。そうする間も竜真の視線は姿子を捉えて離さない。
茅子から離れると今度は姿子の方へと向かって近づいていく。動くことの出来なくなった姿子の真正面で立ち止まった。
姿子からは竜真の足越しに、茅子が見える。
自分を見下ろす視線に姿子は顔を上げることが出来ない。しかし、やがて緊張に堪えかねた姿子がひきつった顔で竜真を見上げる。
表情は影になって、姿子にはよく見えなかった。ただ、頭上高くに振り上げられた刃が煌めくのが見えた。
それの振り下ろされた瞬間が姿子の目に映った最後の光景である。

蔵の中で辰哉はまだ一人座り込んでいた。
なかなか冷えない頭を冷やしてようやく辰哉が立ち上がったのは既に陽がかたぶきかけた頃だった。
まだ明かりの灯されない母屋を訝しげに思いながらも庭先から部屋の中を覗き込んだ。
広く取られた縁側からは残照でまだ中の様子がはっきりと確認出来た。
横たえられた茅子の姿。荒れた室内。部屋の端には竜真が膝を崩して後ろ向きに座っているのも見える。
酷く驚いた辰哉はその竜真に向かって声を掛けた。
「竜真くん、君、そんなところで何をしているんだい?これは一体どういう事だ?」
振り向いた竜真の貌が嫌悪で歪む。
辰哉の目にはその貌と共に人形のように身体を折って倒れ込んでいる姿子の姿が飛び込んできた。同時に辰哉の身体は床に叩きつけられた。振りかざされた刃に気づいた辰哉はのし掛かってくる竜真に力の限り抵抗した。
激しい音を立てながら大の男二人が揉み合い、その際についた数カ所の傷口からは血しぶきが舞い散る。

陽は完全に落ち全ては闇の中に包まれた。
その闇の中で動く影は一つ。静寂の中声が響く。
辰哉の声だ。
「茅子・・・・?」
「姿子・・・・?」
「竜真・・・くん?」
返事を待っては一人一人の名を呼ぶ。
しかし、返る声などない。
繰り返し、繰り返し一人呼び続ける声だけが空しく響いく。
「あぁ・・・・」と小さく絶望の溜息を最後に声は途絶えた。


翌日も太陽は昇り何事もなかったように一日は始まる。


ぱたぱた、と小さく足音が聞こえる。
さらりと開く障子の音に、愛しい者の声が続く。
「あにさま、お寝坊さんね。もうすっかり陽は高くなっていてよ」
既に目を覚ましていた辰哉が身を起こすと、茅子は満面の笑みを浮かべる。
いつも通りの優しい朝を辰哉は迎える。
茅子と姿子と弟のような竜真の揃う何一つ不満のない変わらない日常。

ああ、あれは悪夢だったのだ。と実感のない一日を過ごした後、辰哉は自分を納得させた。
そうすると、それまで硬く強張っていた顔の筋肉が緩んでくる。
至上の笑みを浮かべる自分を前に茅子も姿子も竜真も微笑む。
その一瞬は暖かい光に包まれた心穏やかさを辰哉に与えた。


「おい、やっこさん、笑っているぜ」
ガラス越しに映る人影が囁いた。
「幸せな時間にいるんだろうよ」
「しかし、事の真相は永久に闇の中・・・・か」
「あの惨状のたった一人の生き残りがあれでは知る術はなかろう」
男二人は事件を担当する刑事。見つめる先は・・・・。
辰哉は病院のベッドの上にいた。
崩壊した意識に、その目はもう現実を映さない。
たとえ、正気を保っていても辰哉には自分の知る事実以外の真相を知らない。
真相を知りたがる大衆が知ることが出来るのは、茅子と姿子を竜真が手をかけ、その竜真を辰哉が身を守ろうとして過って死なせてしまった事実だけである。その事実すら個々人の想像力の前では失われてしまう。ただ彼らの好奇心を擽るネタを提供するに止まるのである。

竜真の心の奥で何があったのか、など辰哉にもわかりはしないし、語る事の出来る言葉でなど表せるものではない。
僅かに知る情報のその一片でもって心の闇の全てを理解した気になるのはなんと傲慢な事か。

今では現実を離れ変幻自在な世界に生き続ける辰哉はその寿命を終える瞬間でさえももう胸を焦がす苦痛に苦しめられる事はないのである。


終わり

【短編】 タランチュラ 3 ~人外魔境 外伝~

 2009-03-07
確かめるように進めていた歩はいつしか足早に、無心にコバルト・ブルーの色合いを探し求める。
頭上高くで聞こえた羽音に、やっと我に返った。
先ほどよりも尚も深い深い緑が目に蘇る。
そこで、やっと自分が入ってきた方向すらわからない奥深くへと入り込んでいる事に気がついた。
自分の位置を確認する為にゆっくりと周りを見回してみた。全く自分がどう進んできたのか分からない。

どうしよう!!

心の中で大きく叫んだ。
それと同時に耳に入ってくる全ての音が遮断された。胸が不安に高鳴る。手足の先が冷え目の前が暗くなるのを感じた。
軽く襲ってくる目眩に、バランスを崩し地面に手を突いた。
パニックを起こしかけている。自分自身の状況を悟って目を閉じ小さく息を吐く。
胸の鼓動だけが耳についた。
今度は深く息を吸って吐いた。
次に二度吸って二度吐く。胸式では駄目だ。複式でゆっくりと呼吸をしていることを意識するのだ。

大丈夫。慌てるな・・・・。

自分自身に言い聞かせる。どうにもならない状況で、慌てたところで何も得るものはない。
規則正しい鼓動を取り戻した胸に手を当てて、もう一度息を吸って吐き瞼を開けた。
瞳に映る景色が色彩を取り戻したのを確認してゆっくりと立ち上がった。ふらつきはない。大丈夫、立てる。
こんな風に動揺したのは久しぶりである。
樹海・・・・とはこういうものなのだろうか。
自分の置かれている現実から離れて、まじまじと景色を堪能した。
自慢できたものではないが、現実から逃避するのは得意である。
今更、ムタイの言うことを聞いておけば良かった。などと後悔するのも、自分の好みではない。
それに一人で立ち入ったのは悪かったが、そもそも今は夜ではなくまだ夕刻だ。などと訳の分からぬ屁理屈をこねてみる。
兎に角、起こってしまったものは仕方がない。
これからどうするかを考える方が性に合っている。運が悪ければこのまま果てるかも知れない現実を考えつつも、悲観に暮れる気にはならないのだ。
さて、と腕を組んだわたしの背後で何かの気配がした。
振り向いても何かがいるわけではなかった。気のせいなのだろう。
だが、ざわめく葉がまるでわたしを誘っているかのように見える。
これ以上はあまり動き回らない方がいい、と知っていながら、あともう一歩と促す自分がいた。
ゴクリと喉を鳴らして生唾を飲み込む。
ここまで来て今更、好奇心を抑える事など出来はしない。
過ぎたる好奇心は身を滅ぼすとはよく言ったものよ、と浮かぶ言葉に口のはしが微かに上がる。わたしは完全にこの状況を楽しんでいた。
ええいままよ。と木々を分け入ったその先は、今までの連立していた樹木が嘘のように突然に途切れ広く湿地が姿を現す。
それは不思議な光景だった。
天上から射し込む陽は柔らかく反射し土色の地面を仄かに木々のエメラルドの色へと染めあげている。
丁度目の高さの位置迄、段状を形成し一際の盛り上がりを見せる土の周りに、祭壇のように不思議な紋様の彫り込まれた石が整然と並べられていた。
その背面を彩る原色のままに咲き誇る大輪の花の鮮やかな色の洪水が目に押し寄せる。
穏やかに落ち着きを見せる色彩の中心部に再び視線を移す。
僅か4~5m手前、目の高さまでに盛り上がった土のその上に現れたのは、目に焼き付いて離れなかったコバルト・ブルーの持ち主だった。
全身は見事なまでの艶やかなビロードの体毛に覆われ、肉厚な足がコバルト・ブルーに輝く巨大な土蜘蛛。
コバルト・ブルー・タランチュラ。
即座に俗称が浮かぶ。
同時にわたしの脳裏には疑問が浮かんだ。
しかし、この種は主に亜細亜に生息する筈なのに、何故この南米に?

つづく

老いらくの恋・・・とか?

 2009-03-21

ただ今、恋愛中(笑)
いや、恋愛かどうかはまだ疑問だけど、まぁ、分類分けとしてはそんなあたりか?
よって、ブログの更新が滞っています。

何か小説のネタにもなるような事あるかな?

でも・・・・出かけるのは・・・めんどくせぇ。って言ったら相手に悪いか(^^;)

第四章 凶つ神 3

 2009-03-29
シリンが自分をじっと見つめているのを感じる。緊張のあまり口がからからに渇いてゆく。
レーガの操る水が手にした水差しを満たした。
口にしようとしたそれを取り上げて代わりにシリンが差し出したのは中の一つの果実だった。
『それを口にするといい』
シリンの言葉に逆らえないようにレーガはそれを一口囓る。
半分干からびた果実の僅かな水分がレーガの口を満たす。
『それは、わたしへの供物だそうだ』
『供物?』
『彼らの指す神と言う言葉の概念がよくは理解出来なかったが、お前たちにとってのわたしのような存在の相手に感謝と敬愛を込めて捧げるものだそうだ』
少年の元に頻繁に訪れるシリンの存在。
目映い光に包まれ、人の待たざる力を操るシリンを人々は光の神と崇め畏れ敬い、日々シリンの降臨する場所へと貢ぎ物が捧げられるようになっていた。
『こんなものが?わたしたち種族が貴方に何かを捧げるのであれば、己の命か、この世に存在しうる全ての中から最高のものを選び抜いて捧げる事でしょう』
レーガは険しい顔を見せた。
レーガの勢いにシリンは声を立てて笑った。
自分の言葉をシリンが笑った事に対してレーガの顔が恥ずかしさで赤らむ。
『いや、その気持ちはありがたく受け取ろう、しかし命は遠慮しておくよ』
シリンがそんな顔をするのをレーガはすっかり忘れていた。
『そう言うな。それでも彼らにとっては限られた糧の中からわたしの為に差し出してくれたものなんだから。それに彼らにとってはわたしなぞ何の価値もない存在だ』
シリンは生きることに精一杯の無害な存在の彼らを思い穏やかな顔をみせた。
レーガはシリンにそんな顔をさせる存在に酷く興味を示す。
『次の機会にはわたしもお供させて頂いても宜しいでしょう?』
断る理由もない。
それどころかシリンは心のどこかでレーガが人間の存在に興味を持ってくれた事を嬉しく感じていた。しかし、シリンの抱いた認識は一族にとって大きな間違いだった。
シリンは彼らを束ねる者として、今まで通りに暮らす道を選ぶべきだったのだ。
しかし、その時のシリンには気づく由もなかった。

すっかり生気を取り戻したレーガを伴ってシリンは時空を越えた。
二人分の身体を運ぶ為、僅かに空間を歪めたシリンの力の余波は、遙か遠く極寒の地にも煌めく虹光のカーテンを降ろす。
それは、その地に住む人々の目に触れ、理由を知らないまでにも厳かな気持ちを抱かせた。
そして奇しくシリンの眷属にもその行動を知らしめる事にもなった。
『シリンが動いた』
『シリンが・・・』
『シリンが・・・』
バラバラの種族がこの一瞬に一つとなる。
それぞれがそれぞれの居場所でシリンの動きに意識を集中させた。
ただ、彼らはまだ動き出さない。注意深くその動向を見守るだけに止まる。

『スバル、今日は珍しい客を連れてきた』
降り立つシリンの背後にレーガは立った。
『レーガ。既に見知っていようがこの子はスバルだ』
シリン以外の存在、レーガの出現にスバルの顔は一層喜びに満ち溢れる。邪気のないスバルの魂はレーガにとっても心地の良いものだった。
シリンが何故無防備にこの少年の元へと通うのか、直接スバルに接したレーガは一瞬にして理解をする。
レーガの降り立った何もない岩山は数日後には緑を芽吹かせた。
意識しなくてもシリンは彼らに光を与え、レーガは大地を潤す。
いくら手を尽くしてもどうにもならなかった荒れた地は両者の存在によってみるみる豊かに潤っていく。
人々は生きてゆくために何より重要な神を得たのである。
ますます人々はシリンを、そしてレーガを崇め奉る。
それは彼らに最も近い存在であるスバルに対しても同じであった。
しかし、スバルは驕ることなくシリンを惹き付けた心のまま変わらず成長し、やがて部族の王となり民に慕われる善き統治を行った。

その頃にはレーガ以外の各地で姿を消していたシリンの眷属も姿を現すようになっていた。
彼らはそれぞれの土地で、シリンと同じくヒトの子の望む『神』という存在に置き換えられてヒトの中に在るものとして生き始めていた。
今まで距離を保ち続け一度もヒトと交わることのなかったシリンら一族を、幸か不幸か、ただ一人の少年の能力が再び時間の動く世界へ連れ出したのだ。
だが、シリンたち一族に比べるとヒトの子の一生は遙かに短い。
スバルも時の流れるままに年老いてやがてシリンを残し死を迎える事になる。

『スバル』
シリンは最期の時を迎えようとするスバルの枕元に立った。
寝台に横たわるスバルの顔は穏やかだ。
「シリン神・・・、わたしはもう人生の時を終えようとしています」
力無い声は間近に迫る別れを匂わせる。それはシリンの顔に暗い影を落とす。
シリンの憂いに気づいたスバルは言葉を付け足した。
「もう貴方様のお側におれぬ事は心残りですが、わたしの後は我が息子が継いでくれる事でございましょう。わたしの魂は血族の中で生き続けるのです。どうか変わらず我が子孫たちを見守り下さい」
スバルの手は力無くシリンの手の中から滑り落ちた。
旅立つ魂を見届けた後、部屋の隅に立つスバルの家族へと目を向けた。
遺された幼いスバルの子供。
この子供もスバルと同じ能力を備えていた。
頼りなげな瞳で自分を見つめる子供にシリンは静かな笑みを浮かべ声をかけた。
『父に別れを告げるが良い』
スバルに縋り付き慟哭する妻と息子を残し部屋を後にすると、王の死を悼み静まり返っている都を見下ろした。
スバルと過ごした僅かな時間はシリンにとってかけがえのない時間だった。その全ての時間がテーベの都に重なる。

シリンは【アス】の根に腰を下ろした。
『疲れているようですね』
アスの声が響く。
目を閉じたままのシリンから返事はない。


つづく

【短編】十条の戻り橋 2

 2009-03-30

あれは、物心のついた護が初めて父の病室を訪れた時だった。

「護ちゃんもこちらへ来てお座り。」
初めて目にする父の姿に衝撃を受けた護は病室の中にいた祖母に声をかけられても入り口から動くことが出来なかった。
父の元へ誘おうと祖母が護の手を取り中へと引っ張る。
思わずその祖母の手を叩き払った護に母の叱咤する声が響く。
「護、あんたは何てことをするの。」
「いやだっ!!」
叫んで護は首を真横に激しく振った。
一度はベッドの上に注がれた視線は二度と父の姿を見ようとはしなかった。護は後ずさりドアの所まで下がるとそのまま病室を背にし一気に駆け出した。
病院の外へ出てもそのまま走り続けた。
病院以外何もない一本道である。
足がもつれて転ぶ。
「いやだ、いやだ、こんなところ、早く帰りたい」
立ち上がろうともせず、そのまま地面に突っ伏したまま動かなかった。
「くすくす・・」
声がした。しかし、顔を上げた護の周りには誰もいない。当たりをきょろきょろと見回したが、それでも声の主が分からない。
「ここだよ、ここ・・どこ見てんだよ。」
再びかけられた声は上の方から聞こえた。護は視線をもう少し上の方へと移した。

声の主は道を少し外れた場所にそびえ立つ大木の上にいた。
太い枝に腰掛け、足をぶらぶらさせている。
「そんなとこにいたら危ないよ」
護は思わず叫んでいた。
大声で少年は笑う。
「僕の名前はヒコ。お前・・・・」
「お前って言うな、僕には護っていう名前がある」
ぶっきらぼうに名乗る。
埃を払いながら立ち上がる護をヒコはじっと見おろしていた。
「じゃあ、護」
「何?」
「登ってこないかい」
「え?」
突然の誘いに戸惑った。
「まさか、木登りした事ないとか?」
「・・・・そんなの、あるわけないさ」
ヒコはじっと護を見つめた。
「じゃあさ、一度登ってみろよ」
「・・・出来ないよ」
「大丈夫だって、手を引いてやるからさ」
「でも・・」
「この上からの景色は最高だぞ」
「やだよ」
興味はある。興味はあるが一歩を踏み出せなかった。
「はーん、怖いんだろ」
「怖かないさ」
図星を刺された護はムキになって言い返した。
「じゃ、ほら・・・」
差し出された手に心は揺れた。
それでも、手が届くところまでは自分で上らなければならない。
護は唾を飲み込んだ。かといって、ばかにされたままも悔しい。近くにある枝に手をかけて勢いを付けて身体を持ち上げた。自然と太股に力が入る。力を抜くとそのまま下まで滑り落ちそうになる。
手が回りきらない木にしがみつくなんて初めての経験だった。
枝に手をかけ、うろに足をかけ、何とかヒコの手を取れるところまで上った。
ヒコは慣れたように護を引き上げる。
細っこい身体のどこにこんな力があるのかと思うくらいの勢いだった。
近くで見るヒコは、到底木登りなどしそうには見えない少年だった。
日に焼けていない青いくらいに白い肌。護より身の丈は少し大きいものの、痩せていて全体の作りが華奢である。
「あ、ほら」
ヒコが指さした。
思わず護がそちらを見ると、丁度山あいに日が沈むところだった。
千切れて漂う雲が夕日に染まる。
全てを茜色に染めてゆっくりと沈んでいく。
沈む夕日の周辺は陽炎のように揺らいで見える。
何も夕焼を見るのは初めてな訳ではない。別に夕日は地上からでも見られる。
けれども、今この時、ヒコと見た夕焼けは今まで見たものとは全く違っていた。いつもの目線よりも上から見下ろす景色に沈む夕日は格別だった。
春・夏・秋・冬・・・・、それからは、いつもヒコと駆け回って遊んだ。
護は自分とそう歳も変わらない筈のヒコにいろいろな事を教わった。


-ヒコ・・・ヒコ・・・大切な僕の親友。どうして長い間忘れている事が出来たんだろう。-
護は胸の中で叫ぶ。
大きな月が明るく辺りを照らす。
細い川を遡って上流へと向かう。
急な斜面に差し掛かった時、幾重にも分かれて流れていた川筋は一本となり広い川幅を見せた。
滑り落ちるように流れる水は川面を打ち付け、弾けて散る水滴は月光を受けきらきらと幻想的な世界を作り出していた。
「まーもーるー」
月明かりを遮る雲は振り返った護の目からヒコの姿を隠す。


つづく

【短編】 タランチュラ 4 ~人外魔境 外伝~

 2009-03-31

激しい毒を持つこの種を知っていながら、手を差し出して近づきそうになるわたしを諫める声が響いた。
「それ以上、動くんじゃない!」
わたしの動きは止まった。
「・・・ゆっくりと、彼らを刺激しないように足下を見て」
言葉に従い視線だけを足下へ向ける。
そこには、まるで絨毯を敷き詰めたかのように無数のタランチュラが蠢いていた。
それを認識するとともに、無意識にわたしの口から小さな悲鳴が洩れる。
流石にこの数の毒蜘蛛を前にすると、いくら強気なわたしでも背筋が寒くなる。助けを求めるかのように声のした方へと顔を向けた。
静寂の中にその姿を見つける事は出来なかった。
周りを一巡した後にやっと樹木の影にその人物を見つける。
よく日焼けした褐色の肌に黒い髪、黒い瞳の青年。その顔立ちには見覚えがあった。
目があった瞬間、青年から笑みがこぼれる。
次には信じられない行動に出た彼にわたしは自分の置かれた状況を一瞬忘れた。
毒蜘蛛の絨毯の中へ一歩足を踏み出したのだ。
「あっ!」
毒蜘蛛の餌食となる青年を想像して思わず目を閉じた。しかし、思わぬ静けさにまたゆっくりと開ける。
目の前には何事もないように立つ青年がそこにいた。
無数の毒蜘蛛たちは彼を中心として潮が引くように地面を這い去ってゆく。やがて、それらはわたしの足下からも消え去った。
安堵とともにわたしは再び、コバルト・ブルー・タランチュラの存在を思い出す。しかし、その姿も既に消え去っていた。他の蜘蛛たちとともに去ったのだろうか。
恐ろしさから解放された喜びより残念さが増す。

「ナルセ?」
名を呼ばれて振り向く。
ああ、それよりこの青年は何者なんだろう。
目まぐるしくいろんな疑問が頭の中を巡る。
何故、わたしは彼の話す言葉を理解しているのだろうか・・・。いや、これは日本語だ。それに、どうしてわたしの名前を知っているのだろうか・・・。ムタイがわたしの行動を察して自分の代わりに付けたガイドなのだろうか。
「ナルセ、不思議そうな顔をしている・・・。ぷっ・・・くっく・・」
青年はわたしの表情に堪えきれないように声を立てて笑った。
想像は付く。多分豆鉄砲を食らったような顔でもしていたのだろう。昔、そういう事を言われた事があるような気がする。そしてこの青年の笑い方も知っているような気がするのは何故なんだろう。
ぐるぐる、ぐるぐる、結論の出ない疑問が頭を渦巻く。
「ナルセ・・・・会いたかった」
と、青年が突然腕を回して抱きついてきた。
「ひぁ・・・」
訳の分からない叫び声をあげて咄嗟に青年との距離を取った。青年はそんな風に狼狽えているわたしを不思議そうに見つめた後、納得したように手を打った。
「そうか、ナルセには僕が分からないんだね」
自分の取った行動を思い起こして気恥ずかしくなる。
「・・・初めまして・・・だわね。きっと・・・」
髪の乱れを直しながら出来るだけ毅然とした態度を取ろうとした。


つづく

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人生が輝き出す名言集


presented by 地球の名言

プロフィール

【一心】

Author:【一心】



いぬのこと・・・・
ネコのこと・・・

趣味のこと・・・
生活のこと・・・

楽しいこと・・・
悲しいこと・・・
嬉しいこと・・・
悔しいこと・・・


そんな日々思うことを徒然に・・・。
更新は不定期です。
まとまる時もあれば日が空くこともあります。

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