それが大事・・・・とか?
2008-07-04
わたしの好きな歌に「それが大事」と言う歌がある。大事マンブラザーズバンド・・・だったか・・・・。
何かあって挫けそうな時は必ず歌う。
歌ったからどうにかなる。と言うわけではないが、自己暗示をかけるアイテム・・・のようなものか・・・・。
努力するとか、しないとか・・・・以前に書いた。
わたしは知っている。努力したからと言って必ずそれが世の中に受け入れられる訳じゃない。
努力が足らない訳でもない。
確かに自分ではどうしようもない事が世の中にはあるのだ。
しかし、生き続ける為の努力は止めてはいけない、と思っている。
たとえ、どんな状況下にあっても。
それは必ず自分に対する自信になる。
自分の中でそれは揺るがない。
生きてさえいれば、いつか良いことがある。なんて思ってはいないし、あえて言う気もない。
しかしやっぱり、人生万事は『塞翁が馬』なのだ。
正直、今の自分は生きることに疲れている。
つい先日、書き方を間違ってご心配をおかけしてしまったのは失敗だった。
ただ、「果報は寝て待て」ではないが、そんな悠長な事を言ってる状態でもないが、全てをストップしてしまってもいい時期があるのではないかと思う。
とことんまでがむしゃらに走り続けるのもいい。
だけれど、たまには逃げ出してしまう事があってもいいと思っている。
ただしそれは、自暴自棄・・・とは違う。
あくまで次へのステップの為の充電期間でなければならない。
何の為に生まれてきたのか。
誰しもが自分に問う事があると思う。
ま、自分はそんな事を小学生の時から考えていた変な人間だったので、世の中に対する絶望は早かった。
何故生きるのか・・・。
それは、いつか死ぬためだ。
生まれたものはいつか死ぬ。
それは誰しも同じ。
ならばその時の為に、もうちょっとだけ生きる事に一生懸命になってもいいんじゃないか?
生まれたからにはその生に真摯に向き合わねばならない。
地を這い蹲ってもいい。泥汁を舐めてもいい。
最後の最後まで踏ん張るから生きる意味があるのだ。
生きる事に葛藤する人間は多い。
自分の境遇を不幸がってても仕方がない。
自分の為に、世の中の流れに逆らえ。そう思う。
このブログのタイトルでもある。
動物は決して生きる事を諦めない。
だからわたしの側にはいつも動物がいる。
打たれて凹んで凸んで・・・・を繰り返す。そんな自分はきっと何があっても強い・・・・。
それが自分の人生哲学だ。
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最近、記事が暗いよなぁ・・・・・・
この当たりを書くのは、自分のキャラでもないんだが・・・・・・・(^^;)
同情はいらねぇぜ。ってか多分、誰よりも自尊心が強く、過剰なまでに自信家だ・・・・自分(笑)
・・・そう思い込みたいだけかも知れないけど、思いこみは大事だ。うん。
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体温と外気温との関係・・・とか?
2008-07-07
自分の平常時の体温は高い。
常に37度前後ある。子供なみ?
別に病気・・と言う訳ではない。
ただ微熱がずっと続いているようなものなので多少はしんどさを感じるが、こういうものだと慣れたらそんなものになる。
ただ、少なくとも10代の頃は普通だった。35度6分とかそんな感じ。
夏場は外気温との差が少ないのでさほど暑さを感じないのではないか?
と思った時代もあった。
しかし、体温が高い分外気温が高いと非常に堪えるのである。
変温動物じゃあるまいし、外気温に体温が左右される筈はないと思うけれどもやはり多少は上昇するのだろうか。
数字にしたら、たかだか、1~1.5℃程度の違いなのにその差はなんと大きいことか・・・・。
その代わり冬場は非常に楽である。
反対に冬場は差が大きい分寒さを感じやすいように思う。
しかし、体温の高さが低下を防いでくれているのだろうか?
暖房が入っているときつい時もあるけれども、少々の寒さなら凌げる。
特に今住んでいる地域程度なら大丈夫だ。
冬場の暖房の設定温度は14度である。
ただ、末端冷え性なので、末端は凍える。足などは血が通わなくてよくつる。これだけが難点である。
まあ、そんな訳で夏場はとても辛い。
動作が緩慢になるし思考能力は衰える。
毎年夏がくる度に、冬眠はいいから夏眠をしたいと思う。
自分より体温の高い犬やネコはそれこそ大変だろう・・・と思う。
しかもあっちは汗腺が部分的にしかないし、毛皮装着なのだ。
余談だが、そんなわたしに
「自分はは夏が大好き~、夏が終わると寂しい」
などと言う人間がいた。
・・・で、夏の何が好きなのかと聞いてみた。
厳しい直射日光の中の青い空に海なのか?
「暑い日に冷房を18度くらいに設定してキンキンに冷やした部屋で過ごせるから好き。」
・・・・・それ・・・・ちょっと違う・・・・・
暑い時に暑苦しい話題でよけいに暑い・・・(^^;)
品質とはなんぞや・・・とか?
2008-12-06
どこもかしこも品質を売り物にしている。
さて、品質とは何であろうか。
考えてみる。考えてみる。考えてみる。考えて・・・・いや、いつも考えているので今更考えるまでもないが・・・(^^;)
わたしにとって品質とは
『安全性』
その一言に尽きるのだ。
たしかに性能とか使い勝手だとかいろいろあるわけだが、まず真っ先に来るのが『安全性』なのだ。
どんなに使い勝手がよくっても、どんなに高機能・高性能な製品であっても、どんなに安くっても安全性が二の次になっていてはならない。
さて、短いサイクルで回す製品。本当に安全性は大丈夫なのか?
何よりも安全性重視でやっているだろうか。
外部検査機関に任せて通ればOKではお粗末である。
確かに安全性は、見た目にはわからない。
外にアピールできるようなインパクトはないだろう。
営業は売り込み易さを求めて一目でユーザーにわかる機能を求めてくる(営業努力しろよっ!!)
無理な日程を詰めてくる。
顧客も急ぎ商品が欲しいと駄々をこねる。
全てが急ぎ足で駆け抜けていく。その中において安全性にどれだけ重点がおけるのだろうか。
評価も最終段階になってくると性能(機能)評価にばかりなってくる。
わたしは見た目の派手さよりも、地味でも地道に安全性を詰めていきたい。
さて、電気回路、線が繋がって電気さえ流れれば回路は動いちゃうものなのだ。
動いたから問題ないのではなく、動いた上で全てのスペックを満足しているかの地道な評価が必要だ。それを後回しにして見た目の動作ばかりを追いかけていては、安全性のチェックが完璧とは言えない。
いつの時代も安全性が一番であるというのは自分自身ずっと思い続けていることである。
と、前にも書いたかな。
それともどっかのブログだったか・・・・なあ、いいや、常日頃思っていることだから。