【短編】大地のレクイエム 1回
2008-07-02
-・・・・・くる。・・・・・・帰ってくる・・・・・・-
風もないのに木々の梢がざわつく。微かに大地が鳴動する。
空気が変わり、慈愛に満ちる。
険しい森を抜け一人の青年が姿を現した。
その身には重厚な鎧を纏い大降りの剣を携え腕にはいぶし銀のサークルを填めている。
その姿は、誰の目にも明らかな戦人(くさびと)。
いぶし銀の腕のサークルは仮雇いの戦人の証。
越境の地において隣国との長きに渡る戦火(いくさび)が一時休戦となり、全ての戦人に束の間の休暇が与えられたのは数日前だ。
徴兵されていた戦人のそれぞれが、己の故郷を目指し散りに分かれた。
彼も例外なく自分の故郷への途に付いた。
そこかしこに傷を負った身体は、それまでの戦の激しさを物語る。
満足な傷の手当も受けられずに戦い続け疲弊する日々。
故郷を戦火から守る一念のみが、彼を支えてきた。
停戦の知らせと同時に満足な休息も取らずにふらつく足取りで、彼は故郷の村を目指した。
ただひたすらに。
故郷の土地以外に彼を待つ者などいない。
その彼の眼前に懐かしい景色が広がる。
空気が彼を包み込んだ。
深く被った兜が表情を隠すが、その下には疲れ切っているであろう顔。
その口元が微かに上がる。
人里を離れた脇道に入ると、彼の育った小さな小屋がひっそりと立つ。
人気のない筈の小屋の中では小さな炎が、何もない空間から現れた。
まるで、彼を迎えるかのように点在しているランプに次々と明かりが灯る。
戸に手をかけた彼はすぐにそれに気が付いた。
まただ・・・・いつもこうやって俺を迎えてくれる
開かれた部屋の中は、人がいるかのような空気さに満ちていた。
静かに戸を閉めると、深く被っていた兜を脱いだ。
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【短編】大地のレクイエム 2回
2008-07-11
流れる豊かな黒い髪、燃える紅い瞳。
その顔(かんばせ)は年若くまだまだ少年っぽさを残している。
疲労の色は濃く武具を全て外すとそのままベッドへと倒れ込むように身体を横たえた。
ゆらゆらとゆらめく明かりを見つめる瞳を瞼は重く塞ぎ、意識は深淵へと引きずり込まれていく。
深い眠りに付いた。
灯された明かりが、今度は一つずつその姿を消していく。
暗闇の中ふわりと白い影が漂う。
それは人型を取ると彼の側に立ち手を伸ばした。
その手は、彼だけに与えられるただ一つの癒やし。
影はこの土地において過去より彼を守り続けたもの。
眠りの中の彼は確かなその存在に気づいていない。
翌日、目覚めた彼は里へ姿を現した。
いつものように里の民で賑わう朝市。
彼が目にする民の顔からは隣国の進軍を知った時の恐怖は消え去っていた。
はしゃぎ遊ぶ子供の姿。
穏やかに談笑する民。
彼はそれら全ての存在に己の価値を見いだし安堵する。
遠く離れた土地での戦火の日々が嘘のようである。
彼はこの土地と里の民が我が身を守る為に彼らの手によって軍へと差し出された。
しかし、目の前にある生気溢れる民の姿は恨む事を知らない彼に無上の喜びをもたらす。
彼は何気なく店先で一つの果物を手に取る。
居眠りをしていた店主は人の気配に目を開けた。
愛想よく笑いかけた店主だったが、その気配が彼である事に気づくと、後ずさり尻もちをつき怯えた声をあげる。
その場に居合わせた人々の視線が集中する。
彼の顔から笑みは消え、気色ばる人々に意識が研ぎ澄まされた。
恐怖に彩られた村人の目に晒されている自分の存在は、彼の心に暗い影を落とす。
代価を置き、彼は黙ってその場を後にする。
ヒソヒソと囁く声は彼をそんな彼を尚も追い立てる。
己の存在が空気を乱す。突き刺さる思いを胸に抱き足早に里を抜けた。
大地のレクイエム 3回
2008-07-15
事あれば、彼は里が望める小高い丘に立つ。暫くその全貌を見やった後、沈む夕陽を浴び一人草笛を吹く。
物悲しくもある澄んだ音色は、景色に溶けて広がりを見せる。
時折吹く風が彼の頬を撫でては去っていく。
-・・・・・・い・で・・-
彼が常に感じていた気配、そして空気。
孤独からか、この地への思い入れの深さからか、それは初めて認識可能な言語として心の奥深くに入り込む。
草笛の音は止まり、彼は立ち上がると空中を見つめた。
『あなたは・・・誰?』
心の中で問いかける。
思いもかけぬその問いかけに、木々の梢がざわめいた。
返らぬ答えに沈黙は続く。
しかし彼の瞳はそこに何者かがいるが如く、一点を捉えて逸らされない。
-・・・わたし・・・は・・・・・・-
やっと沈黙を破り返された言葉に気を取られる彼の背後に大男が姿を現した。
手にした剣は、鬼神の働きを見せる戦人の彼を狙う刺客である事を示している。
振り下ろされようとする剣に彼を包む空気が緊迫した。
-危ないっ!逃げて!-
脳裡にはっきり届いた声に助けられ、咄嗟に剣を抜き敏捷な身のこなしで彼は応戦する。
剣は寸でのところでかわしたが、僅かな衝撃に額の皮膚は裂けた。
刺客の太刀は弾き飛ぶ。
だが相手は怯むことなく突進してきた。
裂傷は浅いが、流血に視界を奪われた彼はかわし切る事が出来なかった。
大人と子供ほどの体格差のある相手に力負けし背後の木にまで押しやられる。
刺客は素手で彼の喉を捉えた。
間合いの近さに彼の持つ大振りの剣は威力を失う。
ぎりぎりと喉は締め上げられ彼の身体は空中に持ち上げられた。
指の食い込む喉に、意識は遠のき力が抜けていく。
手にしていた剣が大地に落ちた。
剣を失い所在なげに動く指先は刺客が懐にしていた短剣に触れた。
かっと見開く紅い瞳で、素早く短剣を引き抜き頭上高く上げると両手で握りしめ力一杯振り下ろした。
その剣先は刺客の急所を一撃した。
相手に気づく隙さえ与えぬ一瞬の動作。
刺客はドスンと言う音を立てて地面へと俯せに倒れこんだ。
締め上げていた手から解放された彼は、そのまま木の根元に座り込む。
激しく咳き込みながらも、目の端には絶命し倒れた刺客を映していた。
【短編】大地のレクイエム 4回
2008-07-18
瞳が揺れる。彼を掻き抱くように集まるそれに身を委ねた。
既に残照すらなく陽は沈み、代わりに月明かりが周囲を照らし出す。
額の傷に手をやり血を拭うと、やっと彼は立ち上がった。
落とした剣を拾い上げる。
研がれた刃に映る自分に目を背け、納めるべく鞘に剣先を当てる・・・が、その手が止まった。
再び構えるように柄を握り直す。
草むらの一点に、鋭く殺意に満ちた視線を移す。
剣先で葉を払った。
そこにいたのは出くわした出来事に動くことの出来なくなった、ただの里の民。
「ひえぇぇ・・・」
突きつけられた切っ先に、悲鳴をあげ後ずさる。
彼の殺意は消えた。
地に向け下げられる剣先。
青白い月光が民の、その顔に表す恐怖を更に際だたせる。
彼は鞘に剣を納めると、困ったような顔をして動かない民に手を差し出した。
しかし、己に危害が及ばない事を知った民は激しくその手を打ち払い叫んだ。
「人殺し!早く戦場(いくさば)へ帰れ!」
向けられる軽蔑の眼差し。
研ぎ澄まされた刃より鋭くその言葉は彼の胸を抉る。
『ヒ・ト・ゴ・ロ・シ?』
走り去る民の背を見つめながら、その一言が彼の頭を占める。
腰に携えた剣に手をやり頭(こうべ)を振ると、その場を後にした。。
彼は寝台の上に横たわっている。
かざした手を見つめた後、顔を覆う。
彼の心には里の民の姿が現れては消える。
恐怖する顔。蔑みの言葉。決して交わる事のない思い。
殺さなければ殺される。
殺さなければ守れない。
殺さなければ・・・・・。
里の民の視線に葛藤を繰り返す。
彼の周りを守り続けるものの気配が漂う。
・・・が、彼の心に弾かれて近寄る事が出来ない。
何をも寄せ付けぬ深淵に沈み込む心が睫毛を濡らす。
【短編】大地のレクイエム 5回
2008-07-20
彼には親と呼べる者がいない。物心付いた頃から一人だった。
成長と共に知った人とは違う異質な自分の外見。
里の者はみな明るい髪の色に色素の薄い青、緑、茶色の瞳。漆黒の髪、ましてや紅い瞳の者などいなかった。
忌み嫌われ、一人だった自分の存在に初めて知る孤独・・渇望した人との生活。
しかし、彼は飢える事のなかった幼い日々を思い出す。
常に用意されていた食べ物。それらは全て他ならぬ里の民の手によるものだった。
食べるものが無くなる頃に時折訪れる里の民。
彼らの中にあったのは、畏怖・軽蔑、そして・・・・・慈悲。
涙を拭いその身を起こすと、何かを断ち切ったような力強くさえある笑みが浮かぶ。
-泣かないで-
繰り返す声がやっと彼の心に届いた。
「行かなくっちゃ・・・・」
戦装束に手を伸ばし、戦場へ旅立つ支度を整え始める彼に気配は動揺を見せる。
-行く?何故?
我が身かわいさのあまり、あなたを戦場に差し出した者の為に?
『恐れ、怯えながら、それでも決して暮らし向きは楽ではないこの里で、俺を食べさせてくれたのは彼らだ。・・・・それに・・・・あの時、戦場に出て欠けても困らないのは俺しかいなかった。それだけの話だ。』
- あなたの守ろうとするものはあなたを忌み嫌うのに・・・・・
それでも戻るの?-
『報われたいから行くんじゃない。自分がそうしたいから、俺は自分を育んでくれたこの地を、そして彼らを守る為に行く』
声に応える、その間も着々と彼は装束を身に付け、鎧を纏う手を止めなかった。
- ・・・・・・まだ、人を・・・殺し続けるの? -
その言葉に、初めて彼の手が止まる。
その手に蘇る肉を切り、骨を絶つ感触。
ゴクリと喉が鳴った。
それは彼の覚悟。
『俺はここを守る。その為ならば、これからもこの手を汚す事も、人を殺める事も厭わない』
揺るがない堅い決意。
彼は鎧を全て身にまとうと、静かに兜を掴んだ。
開くべく手をかけた戸が動かない。
まるでそこに誰かがいるのように、部屋の中央へ困った顔を向ける。
腕のサークルが弾け飛んだ。
戦人の証。
粉々に砕けて地に落ちるそれを見つめる瞳は静かだ。
『開けてくれないか・・・・・・。
貴方は、誰よりも俺を深く慈しみ育んでくれた母なるこの土地。大地そのもの。俺は誰よりも貴方を守りたい』
暫くのち、戸にかかっていた抵抗は緩み彼の動きに沿って静かに開いた。
彼の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
もう、声は何も言わない。
出ていく彼を、ただ見送るだけ。
『・・・・この地を何よりも愛してる』
最後に振り向いた彼は一言残して再び戦場へと戻っていった。
【短編】 大地のレクイエム 最終回
2008-07-22
広がる戦火に、早々に戦場に駆り出され彼は戦い続けた。
倒さねばならぬ相手であるならば、せめて一太刀の元に・・・・。
その一念は、ますます彼に強さをもたらしていく。
他の追従を許さず、躊躇いなく急所を一撃で突いてくる。
始まった戦は終わりを知る事もなく、熾烈さだけを極める。
疲れは溜まり、幾度も諦めがよぎるがいつも心を触れ合わせたあの日々へと思いを馳せる。
戦いの最中(さなか)でも自然と笑みがこぼれる。
心に浮かぶのは陰惨な戦場ではなく、緑溢れる大地。
笑みの表す彼の心は哀しい。
戦況は圧倒的、味方の有利に思えた。
しかし彼は見落としていた。
何故あの地に自分を狙う刺客が姿を現したのかを。
戦火が平和だった里を襲う。
豊壌の大地は焼かれ、みるみる荒れ野にと変わっていく。
遠い戦場で戦いに明け暮れる彼の目に、突如としてその光景が映し出された。
戦場にならない約束の自分の故郷。
目の前で繰り広げられる殺戮。
叫び逃げまどう力無き里の民。
遠く離れながらも、その場にいるかのような現実感。
手を出すことの出来ない自分の今いる戦場。
『何故、・・・・・自分はここにいる?』
心は血を流す。
戦火に包まれた故郷を遠く見、拠り所だった戦う意味が一陣の風と共に彼の心を擦り抜ける。
激しい怒りが燃え盛り渦を成す。
動きを止めた彼を、見逃す筈もなく敵の太刀が襲いかかった。
彼の目ははっきりとその敵の動きを見切る。・・・が、彼は動かなかった。
刃の真下にその身を置き、振り下ろされるのを待った。
魂は千里をも瞬時にて駆けると言う。
最期のその時、彼は強く、強く故郷を思った。
瞬く間に移り変わる景色。眼下には懐かしい大地。
上空から見下ろす故郷の地。
夢ではない、現実の。
彼は願いを肉体を捨てる事で叶えた。
その出現とともに大地はそこに在る筈もない彼の気配を察っする。
その意味を知り、空気を激しく震わせた。
-・・・・帰ってきた・・・!-
不自由だった身体を捨て初めて彼は、守り続けてくれた者の姿を捉える。
地に基幹を持ちヒトガタを取りながら蜻蛉のように儚げに空を舞い、民を守ろうと傷つく、大地の精霊、己が母なるその人。
大地から燻り立ち上る煙は彼の心のタガを砕いた。
黒い髪は渦巻く暗雲となり、紅い瞳は雷雲を呼び鋭く雷をふるう。
人形(ひとがた)を捨て、魂だけの存在となった大地と空の子供は、その真の姿を現し持ちうる限りの力を発揮する。
強大な彼の力は不思議に地を傷つける事無く、民を傷つける事もなく、敵陣だけを一網打尽に打ち砕いていく。
逃げ惑っていた里の民は、無尽に走る雷光に天を仰ぎ見た。
合わせられる手に、口々に漏れる感謝の言葉。
瞬く間に故郷の地に集う全ての敵を一掃し終わった。
だが、人形(ヒトガタ)としての今生の生を成就する事なく終えた彼にもその終わりは近づいていた。
放った凄まじいエネルギーは自らに戻ってくる。
無数の雷光が今度は彼の意識一点に集中する。
徐々に霧散していく魂の存在。
自ら生を放棄し、器を捨てた人ならざる者のそれが運命。
永劫に転生する機会すら失った。
それを知りながら、守り抜けた事に満足げな笑みを残し儚く消えていく。
留めようと延ばす大地の手は、間に合わない。
大地はうち震え、微かな揺らぎを伴う胸うつ悲しい地響きをたてる。
永遠に続くかと思われるそれは、愛し子を失った大地の嘆きの声、終わりのない鎮魂歌。
彼の意識は完全に途絶え、全てが無に帰す。
~ 完 ~